最初の子育てでつまづいてしまったこと
やばかった・・・
第一子子育て最初の試練・・・
実は長男が生まれたとき
黄疸異常数値が通常の3倍出て
NICUへ5日間くらい入院しました
光線治療の姿がいまだ目に焼き付いています。
第一子あるあるではありますが
母乳育児推奨の総合病院で出産。
担当した助産師さんは、
今思えば多分新人さんで
マニュアル通りに進める指導でした。当たり前だけど。
そして、しぼっても母乳がでなかったのでミルクを増やしてほしいと懇願しましたが
『母乳が出なくなるから一度に最大10ml~多くて20mlしかミルクを上げられない』と言われ続け
続けた結果(通常は粉ミルクのみなら40~60mlだったかな)
長男は、みるみる痩せていきました
朝起きてチェックに来た助産師さんがバタバタしている…
たしか3日目の朝
黄疸異常数値が通常の3倍出て
小児科の先生も何度も来てザワザワ
このまま一緒に退院して暮らせないのでは…と不安でいっぱい
きっと乳が回復するまでミルクを足せば
こんなことにはならなかったんじゃないのかな
タラレバいっても仕方ないですが
当時は母乳がでない自分を責めたし人生で一番老け込み、
へんなとこにシミができ(体調回復とともに消えました)
退院後もすぐ母乳外来に通い身体を休めることができなかったのです
産後ってココロが不安定なので
ネガティブになりがちだったなーーーーって思います
私のポジティブどこいったん!?って感じでした
あ~、もう記事書いてて思い出して涙が出てくる
今思えば対策できていたことが当時は手探りで…ほんと未熟でした。
長男に申し訳なかったなと反省
入院中も退院してからも一日中泣き止まなくて
身体もココロも疲弊 し理想と現実は全然ちがってて
必死過ぎてすぐに泣いていましたし
育児本読み漁り、比較して落ち込む日々でした
当時はうるさい!って何度も叫んだし、
里帰り出産でよかったって心底思ったんです
なぜなら、あまりにも泣き止まないので夜中に父が
「どげしたかや??」(どうしたの??)
部屋にやってきて長男を抱っこしてあやしてくれました
泣き止むまで一人にしてくれて頭を冷静にすることができたんです
あの感覚が今でも目に浮かぶありがとう
お父さん不器用だけどやさしかったな
長男は今でも大好きなじいちゃんです
広島に戻ってからの壮絶育児はまた記事にします。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!